
美濃国(岐阜県の旧国名)は日本のほぼ中心に位置するため、昔から雌雄を決する合戦の舞台となりました。
古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申の乱が、中世には関が原で関が原の戦いが行われました。
ヤマト政権の勢力下に入っていました。
斎藤道三や織田信長の活躍の舞台となりました。
上洛する際の重要な要所として、多くの戦が発生しました。
天下分け目の戦いと言われた関が原の戦いは現在の岐阜県不破郡関ケ原町で行われました。
江戸時代以降、豊富な美濃国で大名が力を蓄えるのを恐れた幕府は美濃国を分割、最大でも10万石程度の小藩としました。
元禄期に木材や神岡鉱山に目をつけた幕府が直轄の天領として統治しました。
笠松県と廃藩置県でできた今尾県、岩村県、大垣県、加納県、郡上県、高富県、苗木県及び野村県が合併して岐阜県となりました。
その後、筑摩県のうち、吉城郡、大野郡及び益田郡の三郡を合併して飛騨国を含むほぼ現在の形となりました。
戦後は昭和34年の伊勢湾台風や同51年の9.12水害などに見舞われ、海抜の低い濃尾平野は大打撃を受けました。